湯沢七夕健康マラソン              2018.8.7(火)

まずは、力水で力をつけて。

表彰台にも絵燈籠が飾られています。

参加賞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンパンマンの着ぐるみを着た人たちも大会をもりあげてれます。

完走後の冷たい西瓜がとても美味しかった。


前日は雨が降ったり,やんだりのすっきりしない天気だったが、当日は、気持ちの良い朝を迎えた。気温も京都より10度以上低く、今頃のマラソンとしては恵まれた気象条件だった。10Kmマラソンがスタートするまでに小学1~3年生の1Kmから順に4~6年男女、中学女子の1,5Km、中学男子の3Km、一般5Km、一般10Kmと続きます。特に小学生が頑張って走る様子はとても可愛かった。親御さんが懸命に応援しながら写真を撮っている様子も微笑ましく新鮮に感じた。9時30分、いよいよ10Kmマラソンのスタート。京都より涼しいとは言え、真夏の大会。完走をめざして、ゆっくりペースで。と思っていたのだが、周囲の速さに流されて自分の実力以上の出だしになってしまった。そのつけが徐々に体調にあらわれて4~5Kmあたりから吐き気を我慢するのが精一杯。ついに8Kmあたりで戻してしまった。そこからは、大会スタッフの人に自転車で並走される事になったが、戻してすっきりしたせいか、わりと気持ち良くゴール出来た。

ゴールするなり、救護班の人に支えられ、救護テントで休養することになってしまったが、今までで一番、多くの人に助けられた大会となった。  結果も1時間4分でワースト記録だったが夏の大会で完走出来たのが嬉しかった。

力水   雄勝郡会議事堂記念館        2018.8.6(月)

力水  日本名水百選に選ばれた湧水で、水温は約12度と一定。湯沢城主が「飲むと力が湧く」と愛用したことから力水と言われるようになりました。

雄勝郡会議事堂記念館  県指定有形文化財で内部は絵燈籠が展示されていました。

 


湯沢市内散策

通りには七夕の飾りや絵燈籠が飾られています。犬っこ通りは犬に仕立てた植木が数メートル置きにあります。また、マンホールは小野小町生誕の地らしい絵が描かれていました。

両関・福小町(内倉めぐり)

両関・・・・登録有形文化財になっています。湯沢は米の主産地であり、水質にも恵まれていたため酒造業も多かったが、今も多くの酒蔵がありました。

福小町・・・もともとは男山という銘柄だったが優しい味わいから男より娘の名がふさわしいという事で福娘という名をいただいたが、すでに他の酒造会社が福娘で商標が登録されているということで福小町になったらしい。蔵の所々に男山、福娘の名が残っていまた。また、昔使われていた釜場が残っているのも初めて見ました。

一里塚

羽州街道沿いの樹齢約400年の大欅。

ケヤキの木でこれほど大きなのは初めて!!

山内家の門

江戸末期建築の薬医門

京野家

高台に建つ大正時代の洋館


小町堂                         8月7日(火)

小町を奉る御堂として建てられました。

小町地区には小野小町に関する伝説が伝えられています。小野小町の伝承は全国各地にありますが、湯沢のそれは、出生から92歳で亡くなるまでのストーリーが伝わっています。

院内銀山異人館

異人館の建物中央の入り口は資料館へ。建物左側の入り口は「院内駅」の入り口になっています。院内銀山は、1606年、最初に発見され、1833年から1843年まで日本一の「天保の盛り山」時代になったが幕末期には衰退。明治12年からドイツ人技師の来山と外国技術の採用により近代化を進めたが明治15年には操業中止になった。その後民間に払い下げ10年以上日本一になったが大正9年に事実上の閉山。何度か日本一になった銀山だが知りませんでした。

院内銀山坑内の作業模型・・水鉄砲の原理を応用した水の汲み上げ作業で、院内鉱山地底300~400mの坑道から地上への鉱石運搬の大変さが良くわかる。また、この頃の職業病に「よろけ」(珪肺病)があった。

重労働に加え、通気の悪さと湿気、鉱石粉塵のため不治の病で多くの若者が亡くなった事に胸が痛む。

洞窟の生活模型・・・洞窟から弥生時代、縄文時代の土器が多く発掘されている。

引き札・・院内銀山に出入りした商店の広告。等の展示がありました。

院内石切り場跡

石切り場跡は江戸時代から昭和まで約100年間に渡り、院内石(院内凝灰岩)を採掘した跡で先人の偉業が偲ばれる。

院内カルデラ

写真では分かりにくいが、カルデラの様子が見渡せて良かった。太古の昔、十和田湖のようなカルデラ湖だったと言われ、地質学的にも注目されている場所です。

岩井堂洞窟

国指定重要埋蔵文化財で、院内石の岩壁が侵食されてできた洞窟遺跡。先住民族住居跡、縄文早中期の生活跡と思われる洞窟で多くの土器類が発見されている。一部、院内銀山異人館に展示されていた。

稲庭城

鎌倉時代初期、雄勝一帯を治めた小野寺氏が築いた。本来は東北最大級のスロープカーでお城のあるところまで行ける筈だったが、あいにく火曜日は定休日で歩いて登る事に。九十九折の山道を登って行くと、途中に、鞍掛神社(栗駒山にある駒形根神社遥拝所)、腰郭跡(敵の寄手を防いだり見張りなどした跡)、廓跡等があった。

 

七夕絵どうろうまつり

絵どうろうに灯りが灯される頃に祭りの会場へ。点灯されると一段と綺麗だった。

川原毛地獄                      8月8日(水)

今回の観光でどうしても行きたいと思った所のひとつ。南部の恐山、越中の立山と共に日本三大霊地の一つ。温泉,噴気のある場所の岩石は鉱物が変化し、白くなって特異な景観になっています。ここに来るまでに観光マップにあった道は大雨で通行止めになっていて遠回りしてきたが、これだけの雄大で素晴らしい景色を二人締め出来て、最高に行った甲斐があった。

大湯滝

川原毛地獄から歩いて約1時間。湯尻沢渓谷にある高さ約20mの湯滝で夏場は滝壺と渓流に天然の露店風呂として入る事が出来ます。滝の横に茶色くみえている所が更衣所です。靴を脱いで膝下まで入ってみました。お湯の温度は98度あると言う事ですが途中、沢水と混ざり、ここはほんのり温かくて長く入っていられそうでした。

三途川渓谷

川原毛地獄の入り口にある渓流から約40mの高さにある三途川橋の上から。橋の両端には閻魔大王・泰山大王・延命地蔵・合掌地蔵の四体の石像があります。

千年公園・鹿島様

鹿島様・・武神を象徴した藁人形で東北地方の村落に多く祀られているという事ですが初めて見ました。ここ岩崎地区では古来村の入り口に鹿島様を置き、他所から邪悪な霊や人間、疫病の侵入するのを除くため春、秋の年2回、衣替えをする「鹿島祭り」を行い、その願いを鹿島様に託しています。

鹿島様は2000年の歴史を有する日本の稲作農業がもたらした民族文化の芸術と評価されています。

増田の内倉

旧村田薬局  一階には一角に調剤室が設けられています。二階には百味箪笥という多種類の薬種を入れる箪笥、薬瓶、強力納豆菌、昔懐かしいゾウさん、ウサギさんのマスコット人形等。また、地下室まであり(腰を屈めないといけない高さですが。)今では処分するのも難しい薬品が置かれていました。こういった感じでこれだけだと普通の小さなお店なんですが、奥行きは100m以上もあり、寝室として利用している内蔵から味噌蔵、昔は茶室として利用されていたが、今は開かずの蔵になっている外蔵までいくつもの蔵が連なっていました。

旧石平金物店  (増田観光物産センター) JR東日本のCMで吉永小百合さんも訪れた内蔵。ポスターで吉永小百合さんが立っている同じ位置で。