第18回果樹王国ひがしねさくらんぼマラソン大会            2019年6月2日

参加賞 Tシャツ

大会会場

陸上自衛隊神町駐屯地がマラソンのスタート、ゴール地点です。

売店

迷彩柄の色んなグッズがあり興味深く見入ってしまいました。

特別賞

70歳以上の参加者や遠くからの参加者には特別賞もあります。

海上には自衛隊の車も展示していました。

通路障害作業車のまえで。

参加賞のおにぎりとさくらんぼは完走後に頂きました。


宿泊している山形市から東根市まで小一時間かかるという事でホテルを6時過ぎに出発。7時頃到着。8時50分のスタートまで展示している自衛隊の車を見たり、売店のグッズを見て過ごしました。

私は一番後ろのGブロックからのスタート。ゲストとして金さんや千葉さんが来ているようでしたがマイクをとおしての声を聴くのみで姿を見る事はありませんでした。Gブロックといっても目標タイムが2時間数分なので最初からキロ6分30秒位のペースだったこともあり、気温も高いし、無理をせず周りのペースに合わせていけばいいだろうというくらいの気持ちでしたが、コースは微妙にアップダウンがあり、ひたすら影も無いさくらんぼ畑の中、気温もどんどん上がっていくのもわかるし、景色に変化も無く辛く感じましたが途中、朝日連峰と月山が綺麗に見えて少し癒されました。また、地元の幼稚園児から中学校の生徒まで沿道の熱い声援に後押しされてなんとか頑張れることが出来ました。途中第一関門の制限時間に7分ほどしか残っていない事にあせって第一関門通過後は時計を気にしながら頑張ったので第二関門、第三関門と通過する毎に時間的にも少し余裕が出来、エイドのさくらんぼもしっかりゲットできたので良かったです。結果 2時間22分15秒とワースト記録を更新中ですが影も無い暑い大会の中という事で自分なりに納得のいく結果を出せました。

立石寺(山寺)

登り口付近に対面石と対面堂があります。ここで幸福の鐘を二つ撞いて御参りしました。

国指定の重要文化財。

ブナ材の建築物では日本最古。

橋殿

古来、偉人のみ渡る石橋と伝えられています。

地蔵尊の頭を撫でると長寿出来るとか・・・。

山寺の大銀杏

山寺一円の守護神である日枝神社の御神木で地上1,5mの所の幹回りは9,6mあります。

芭蕉とそらの像

真っ白い仏

万物供養阿弥陀如来

すべてのものの命を供養してくださいます。

山門

開山堂などへの登山口で山門から大仏殿のある奥の院までの石段は800段を超えます。

四寸道

お山の自然にそってつくられたこの参道は昔からの修行者の道。一番狭い所は約14センチの四寸道で開山・慈覚大師の足跡を踏んで私達の先祖も子孫も登る事から親子道とも子孫道ともいわれます。

弥陀洞

長い歳月の風雨が直立した岩をけずり、阿弥陀如来の姿を造り出しました。一丈六尺の姿から丈六の阿弥陀ともいい、仏のお姿に見ることが出来る人には幸福が訪れるといいます。

山内支院

性相院(しょうぞういん)

江戸時代までは12の塔頭支院があり多くの僧が修行に励んでいました。今は4つの院がその面影を残しています。他に、金乗院、中性院、華蔵院が残っています。

開山堂と納経堂

立石寺を開いた慈覚大師のお堂で大師の木造の尊像が安置されています。

岩の上の赤い小さな堂は写経を納める納経堂で山内で最も古い建物です。

対面石と対面堂

この大石は対面石といわれ貞観2年(860)慈覚大師が山寺を開くに当たりこの地方を支配していた狩人磐三郎と大師がこの大石の上で対面し仏道を広める根拠地を求めたと伝えられています。この大石に左手をあてて願いをこめれば良い事に対面できるといわれています。

招福布袋尊

布袋尊のからだをなでで願い事をお祈りします。

清和天皇御宝塔

山寺を勅願時とした清和天皇の供養塔

芭蕉句碑

閑さや 巌にしみ入る蝉の聲

門人達が建てた句碑

亀の甲石

亀の形をした石は古来より延命、長寿の霊験ありと伝えられ、小銭に名前を書いて供へ置けば願いが叶うと言われています。

を参考にすべての所に置いてきました。

鐘楼

姥堂

ここから下は地獄。ここから上は極楽という浄土口でそばの石清水で心身を清め新しい着物に着かえて極楽に登り、古い衣服は堂内の奪衣婆に奉納します。一つ一つの石段を登る事によって欲望や汚れを消滅させ明るく正しい人間になろうというものです。

磨崖仏

屋根が無ければ見損なうところでした。

仁王門

1848年に再建されたケヤキ材の優美な門で左右に安置あれた仁王尊像は運慶の弟子たちの作と言われています。

奥の院と大仏殿

正面右側が奥の院といわれる如法堂で開山・慈覚大師が中国で修行中に持ち歩いた釈迦如来と多宝如来を本尊とし、左の大仏殿は像高5メートルの金色の阿弥陀如来像を安置しています。

五大堂

五大明王を祀って天下泰平を祈る道場で山寺随一の展望台です。



文翔館

1916(大正5)年に県庁舎として建てられました。1975(昭和50)年に県庁が移転するまで約60年県庁舎として使われてきました。この建物は「英国近世復興様式」を基調。国の重要文化財に指定されています。

貴賓室

皇族や国の高官が来県した際の控室、昭和中頃~昭和50年まで副知事室として使用されました。

天井漆喰の花模様

当時と同じ工法で造られた床

正庁

現在の講堂に当たり訓示や辞令交付等行う部屋。花飾り等のある漆喰天井やシャンデリア、カーテン、壁紙、バルコニーのタイル張りが復元されています。

知事室

知事の執務室として使用されていました。

復元されたシャンデリア

道中格子(寄木模様の床)・・食堂


高い腰板壁

音の反響により食事中の会話がよく通るようになっています。

山形の工芸品

おっかわみの・・シナノキの中皮を使ったもので尻当てが長く腰当につながっています。

深山和紙(花嫁衣裳)・・原料は楮で薬品による漂白を行わないので黄味をおびています。

相良人形・・土臭さとともに優雅な気品があり、相撲取り、大黒様,子守娘など。

成島焼・・上杉鷹山が藩の産業を盛んにしようとして工藤と言う人に焼かせたのが始まり。

つる細工・・あけび、ぶどう、またたびなどのつるで花器、果物かご、買い物籠など。

延命小槌・・家屋敷の守り木として「槐」。木目が綺麗で堅い材質の銘木で「ろくろ挽き」して作り上げた作品

大宝寺焼・梵天窯・・明治末頃まで鶴岡で作られていた陶器で鶴岡の古い地名が名の由来。厚手のつくりと青紫と白の釉薬が特色

鶴岡瓦人形・鵜渡川原人形・・鶴岡、酒田で作られた土人形

ばんどり・・庄内地域で荷物を背負う時の藁製の背中当て。表面を縄や糸で細かくかがって補強しているものが多い。

しな織り・・・シナの木の樹皮を糸にして作った布で昔は米袋、網などに使われていました。

御殿まり・・色糸で花模様や亀甲模様など縫い取っています

獅子頭・・正月に魔除けとして回る獅子舞の盛んな酒田地方で作られました。材料は黒松で手彫りのあと黒漆、赤漆を塗り、金箔をほどこします。


紅花染め

享保雛

江戸時代初期、寛永びなの様式を発展させたもので大型のものが多かったが、のちの倹約令で小振りなものに。

庄内黒柿細工

黒い模様のある柿の板を用いた指物細工。材料の黒柿は柿の古木の内部が暗紫色に変色したものです。

磯草塗

新潟県弥彦の塗り師が考案した漆工芸品で、日本海の荒波にもまれる海藻を表現しています。

竹塗

ケヤキやホウの木地に色漆を用いて一見竹製のようにみせています。

時計塔のあゆみ

県庁舎前の通りの昔の様子

小鵜飼船

江戸時代後期、最上川の急流に適するように作られたもので交流、近距離の船着場の間で利用された私船でした。

手書き絵蝋燭

木蝋を原料とし絵柄を顔料で描いたもので、御所車、蓮花、花模様、風神、雷神など伝統的絵柄があります。

船箪笥

江戸時代から明治にかけて西回り航路を行き来した千石船や北前船で金庫や書類の保管に使用されました。漆を何回も塗った堅いケヤキ材を使い、鉄金具を貼り付けて荒波にも耐えるよう作られています。内側は桐材で水に浸かっても桐材が膨張し引出しの中のものが濡れない工夫がなされています。

県庁舎と県会議事堂の変遷

ビデオで紹介されています。

中庭


霞城公園

最上義光之像(もがみよしあき)

最上氏の初代斯波兼頼から11代目。

 

現在の山形県の置賜地方を除く全域と秋田県の南部を治め山形城を築城し城下町の整備も行い現在の山形市繁栄の礎を築きました。

雁木(二の丸南大手門)

雁木は石垣や土塁に登るための石造りの階段

堀礎石

土塁の上には堀が建てられていました。

本丸一字門

本丸の大手にあたり、櫓門、高麗門、枡形全体の呼び名

山形城跡二の丸東大手門

南大手門

横矢

土塁を屈曲させ、鉄砲や弓などの防御部隊を配置して城門から侵入する敵を横方向から攻撃するための施設


山形市郷土館(旧済生会本館)

旧済生会本館

明治11年、落成した山形県立病院。昭和41年国の重要文化財に指定。明治初期の擬洋風建築

人体骨靭帯動静脈模型


往診用のそり

はしか絵

昔から日本でははしかの死亡率が高かったので非常に恐れられていました。まじないをしたり、お札をはったり、食べて良い物悪い物、日常生活の摂生法などを書いている絵が多い。

イチイの巨樹

幹回りが2,4メートルあり市内で最も太いイチイ

螺旋階段

電動式骨手術器

これらの器具を使っての手術、まさに職人です。

釜の越サクラ

 


東根の大欅

山形県産業科学館

閉館30分程まえに入ったので2F~4Fの内2Fの一部を駈足で回りました。科学を体験しながら楽しく学べます。

フーコーの振り子

地球の自転を証明するフーコーの振り子が4階から吊られています。

産業タイムトンネル

江戸時代から現代まで山形県の産業のあゆみをパネル展示しています。(2階~4階)

発電しよう!比べてみよう!のコーナーです。

 

新エネルギーを体感しよう!


やまがた時代絵巻ー建物ー

記念スタンプを押しながら街中を”ぶらり”散歩

七日町五堰

文翔館

山形市郷土館

霞城セントラル

香味庵まるはち

二の丸東大手門

山形学び館

山形まるごと館 

紅の蔵


長谷堂城跡公園

帯曲輪

細長い平坦面が段々畑状に連なる防御施設

水堀

長谷堂城を一周しています。

虎口(こぐち)

曲輪などの各施設への出入り口の事です。

曲輪群

山頂広場の直下を取り巻く曲輪群は最終防衛ラインになります。

長谷堂観音

阿弥陀堂

曲輪(くるわ)

山の傾斜面を削って平坦に造成された区画のことで、建物を構えて寝泊りしたり柵を立てて防備したりします。

横矢掛り(よこやかかり)敵に対して側面から矢や鉄砲などを放って攻撃できるよう通路を屈曲させその両側に部隊を配備する曲輪を配置した防御施設のことです。

山頂広場

土塁

敵の攻撃や侵入を防ぐための土手

二重横堀

下から攻め上がってくる敵兵を食い止めるために作られた堀と土塁です。

切岸

人工的に斜面を削って造成した崖状で急斜面の防御施設です。


上杉神社

上杉鷹山

舞鶴橋         国指定登録有形文化財

上杉神社

松崎神社

上杉鷹山、上杉景勝直江兼続など六柱を祭神としています。

上杉謙信像

上杉神社稽照殿

上杉神社の宝物殿


米沢ラーメン

城下町散策の途中で。

米沢ラーメン

縮れ細麺でつゆは少し甘めでした。


城下町散策

菱門橋

米沢城本丸跡に架かる太鼓橋。江戸時代本丸内の藩主が住んだ(御殿」から南出入り口にあたり、その通行は厳重に取り締まったことから「秘し門」と称されたことに由来します。

上杉記念館

登録有形文化財に指定。庭園を見ながら米沢伝統の郷土料理があじわえます。

九里学園高等学校

登録有形文化財に指定。

米沢市文化伝承館

米沢の絵葉書展を開催していました。

ウコギ垣

米沢のウコギ垣は質量ともに日本一。気候風土がウコギの生育に適して若葉は食用,根皮は強壮薬として利用されています。

米織会館


酒造資料館  東光の酒蔵

東北一の広さの土蔵に昔ながらの造り酒屋の様子と酒造りの道具が展示されています。

庭園

指樽(さしたる)

結納、結婚などのお祝い事のとき、この容器に酒を入れて贈ります。

仕込み蔵

一棟140坪の東北で最大級の酒蔵。

精米機

酒造米は玄米で酒屋に引き取られて精米されます。

三輪明神御分社

酒の神大物主大神と少彦名神を御祭神とする。奈良県桜井市の三輪山にある大和一ノ宮三輪明神大神神社の御分社です。この大神神社は日本最古の神社と伝えられています。

釜場

白米を洗い水に浸して水を吸わせ大釜の上にのせたこしきに入れて蒸します。

帳場

帳場格子、銭函、電話、大福帳、算盤など昔の商家そのままの備品を備えています。

香時計

時間は格子状になっている蓋の目盛りを通して燃えている箇所を確認して知るが要所に時刻札を立てて置きおおよその予定時刻も予知しました。酒造りとの関係は不明だが初めて見た物なので。

らんびき

焼酎の蒸留器

槽場(ふなば)

熟成したモロミは酒袋に入れ酒槽(さかふね)の中に積み、圧搾して新酒と酒粕に分けます。

麹室

蒸米に種麹を蒔き暖かい麹室に入れ、約二日間で純白の米麹が出来上がります。

台所

明治時代後期の商家の台所です。


上杉家廟所

昭和59年米沢藩主上杉家墓所として国指定史跡になりました。

藩祖謙信公

廟は2代から8代までは社造りで材質もケヤキを用い柱は丸柱。9代から12代までの廟は10代鷹山公の考案による宝形造りで材質もスギやヒノキを用い、柱は角柱と簡素になりました。

上杉鷹山のお墓


唐松神社

県内唯一の懸崖造りの建物で三十三観音の第5番の札所。

鍋太郎

日本一の芋煮会フェスティバル初代大鍋

この大鍋は平成元年の第一回日本一の芋煮会フェスティバルより第3回まで実際に使用された初代の大鍋です。

 

3万食分の材料

里いも3t  牛肉1,2t こんにゃく3500枚 ねぎ3500本

醤油700ℓ 砂糖200kg 日本酒63ℓ

專称寺

山形城主 最上義光の二女駒姫の菩提寺

豊臣秀吉の命により京都三條川原で処刑され15歳を一期としてこの世を去りました。

境内の大銀杏