第29回 鶴ヶ城ハーフマラソン 平成29年10月1日

おすすめポイント・・・高低差も殆ど無く、スタート後、すぐに沿道に植えられたマリーゴールドの美しい道が続き、しばらくすると、黄金色に実った稲穂が美しい田園風景、視線を少し上げると磐梯山、折り返し地点を過ぎると鶴ヶ城も目の前に現れとても眺めのいいコースでした。途中、小学校や中学校のブラスバンドの演奏もあり、元気を貰えます。

参加賞

8時10分スタート。スタート時の気温は16度とまあまあなんですが、ぐんぐん気温が上がって日陰が無いコースはじりじりと肌をさす暑さ。それでも夏のようなじっとりした暑さではないので頑張れるかな。と、少しは期待しながら・・・・。しかし、コースは曲がり角が多く、舗装の状態は悪く、よそ見をしていたら、躓きそうな箇所が何か所もあった。沿道の人も少ない!!それでも掛けてくれる声援は大きく、暖かい。エイドでは巨峰やブルーベリー、トマトなど冷たく冷やした果物もたっぷりあり、ブラスバンド部の演奏や太鼓の身体に響く音に元気をもらいながら、ネット(2時間10分40秒)もグロス(2時間10分59秒)も全く同じタイムでゴールできた。

鶴ヶ城   9月30日(土)

鶴ヶ城・・幕末の戊辰戦争で約1か月に及ぶ戦いが行われ、戊辰戦争後政府の命令で取り壊されたが昭和40年に復元された。赤煉瓦の天守閣が美しく、中は塩蔵が再現され、会津を治めた歴代の領主の変遷、戊辰戦争、白虎隊、会津ゆかりの先人達の紹介されていた。また、五層からの眺望も素晴らしく、磐梯山も綺麗に見えていた。

麟閣

千利休の子。小庵が会津に匿われていた時、蒲生氏郷の為に造った茶室。氏郷が千家再興を願い出た結果、小庵の子は京都に帰り、宗旦に引き継がれ、孫により、武者小路千家、表千家、裏千家が興されたらしい。氏郷がいなかったら・・・・・。戊辰戦争だけでなく、お茶の世界でも会津と京都は深い関わりがある事を知りました。

御三階・干飯櫓・走長屋・荒城の月碑・お城ボくん

御薬園

会津松平家二代藩主保科正経(まさつね)が領民を疫病から救うため整備。三代藩主松平正容(まさかた)は朝鮮人参を試植し、広く民間にも奨励したことから「御薬園」と呼ばれるようになったという事です。園の中は薬用植物標本園と庭園からなり、普段私達が良く目にしている紫陽花、つゆくさ等、薬草と意識してない多くの植物があった。綿の花も初めて見ました。

白虎隊自刃の地   10月1日(日)

マラソン後なので脚をいたわって白虎隊自刃の地のある飯盛山へ動く坂道で行きました。

昭和3年、白虎隊精神に感銘をうけたローマ市より贈られた記念碑がありました。

裏面には「武士道の精華に捧ぐ ローマ市元老院及び市民より」とあり、洋の東西を問わず、感銘を与えた事を強く感じました。

写真では分かりにくいですが柱はローマの赤色花崗岩古代円柱で上部は大鷲の像です。

戊辰戦争で自刃した白虎隊士の忠節に対し松平容保公が詠んだ弔歌の碑。「幾人の涙は石にそそぐとも その名は世々に朽ちじとぞ思う」

少年像が見ている方向に鶴ヶ城があります。

さざえ堂

郁堂和尚が考案建立したもので、六角三層、昇降別々の螺旋形通路で階段が無く、一方通行で上下する日本唯一、世界にも例の無い建築で、今回の観光で一番楽しみにしていた建物です。

白虎隊記念館

内部は写真撮影禁止で何も撮る事は出来ませんでしたが、1万点以上の資料があり充実していました。パンフレットでその一部を。

旧滝沢本陣

松平容保公が陣を敷き白虎隊士が出陣の命をうけた場所。茅葺の屋根におおわれた書院つくりの建物で国の重要文化財に指定されています。

大塚山古墳

会津盆地の東側にある柄鏡式の前方後円墳で、全長114m。造営は4世紀末で東北地方では最古に属し大和朝廷と関わりをもっていたらしい。

会津武家屋敷

西郷頼母邸 会津藩 松平家譜代家臣で代々家老職を務めた千七百石取りの家柄。敷地は2400坪、38部屋もあり何しろ広い。大きい。

玄関だけでもこの広さ!!

お成りの間 お殿様がおいでになった時にだけ使用された部屋。

厠(外部)お成りの間専用厠 床下に砂を敷いた箱車があり使用するたびに健康状態を調べた後、処理していた。(砂雪隠)

中は畳敷きで、天井は無い。

使者の間 城からの使者が家老と会った部屋

槍の間  玄関番が常時2~3名詰めており緊急事態に備えていた部屋。

風呂場 家族が使用した檜造りの風呂。湯は裏手の台所で沸かし手桶で運んだ。火災予防の為広い邸内で火を使えるのは台所に限られていたから。

子供部屋 長男は右側の床の間のある部屋。

     二男三男などは中央の部屋で一緒に。

化粧の間 頼母の妻が化粧や身支度を整えた部屋

藩米精米所 十六個の石臼で一日に十六俵精米できる東北一の精米所当時白河藩で使用していたものを移築。直径4mの水車で動かしています。

女中部屋  行儀見習いの女中十数名の部屋

その隣には女中頭の部屋が同じくらいの広さで

また、その奥には女中頭付きの女中部屋が。

台所

土間、溜まり、料理の間、配膳の間から構成されて、数十人の食事を作っていた。天井のない吹き抜けの構造。雪の重さに耐えられるよう横の梁が緩やかな弧を描いている。

番所 屋敷内警備の家来が詰めていた。

  役人所 屋敷内の事務処理をしていた部屋。

片長屋 武家邸宅の回りに設けた下級武士の長屋で屋敷の警備にあたっていた。

駕籠部屋 家老といえ特別な場合しか使用できなかったらしい。駕籠の重さだけで約30kgあるので大変です。

西郷頼母一族の自刃  西郷頼母が都城した留守宅で妻の千恵子を筆頭に21人が全員自決。この時、死にきれず息も絶え絶えの少女から介錯を求められ西軍藩士がこれに応じた場面。

西郷頼母の屋敷の他、資料館、歴史館、手作り体験館、美術館、旧中畑陣屋、会津天満宮など見応えのある施設でした。

会津藩校 日進館   10月2日(月)

什の掟は日進館入学前の六歳から九歳の子供たちへ徹底的に教え込まれた。資料館等で何度も目にしました。会津の子供たちは今でもこの掟を目にする事が多いと思う。

日進館は江戸時代、全国三百藩校の中でも規模内容共に随一と謳われた。五代藩主、松平容頌(かたのぶ)時代の家老田中玄宰(はるなか)の「教育は百年の計にして会津藩の興隆は人材の養成にあり」との進言によって計画され1803年鶴ヶ城の西に完成。白虎隊の少年達もここで学んだ。戊辰戦争で焼失したが昭和62年完全復元された。今は鶴ヶ城からだいぶ離れた場所にあります。

戟門 重要な建物を守るため「戟」という武器を持った衛兵を置いて監視していました。当時は太鼓を置いて授業の時刻を知らせていました。

大成殿

東塾

素読所 10歳になると入学。漢文を意味を考えずに声を出して読む事。11歳から礼法の修行。12歳から習字の修行。15歳から弓、槍、刀の術を修行。素読所では漢文の本が読めなければ長男は35歳、次男以下は21歳まで勝手にやめられない。その他、天文学(天球儀、地球儀等備え宇宙についての知識を学んだ)数学(砲術、数学に特に関心の強い生徒が集まった)医学(医家の子弟は医学寮に入学できた)

大学 素読所を卒業した五百石以上の長男、成績、人物ともに優秀な生徒が入学できる。

 

山崎闇齏 京都の医者の子。後に全国でも知られた儒学者。時の会津藩主・保科正之に招かれ会津藩士に儒学を教える。

 

水練水馬池   日本で初めて造られたプール。向井流という泳法を学び甲冑をつけての水練も行われていました。水練場を備えた藩校は他に長州藩の明倫館だけでした。

武講  兵学を研究するところ。城の造り方や軍事教練も行い、軍事奉行に属し、今の防衛大学のようなものでした。

砲術場 小銃、大砲の訓練、戦闘の時に使われる狼煙の訓練。小銃の実射は館外の射場でおこなわれていました。

野口英世館

野口英世の実物大の写真の像と一緒に写真が撮れるように付け髭と白衣があります。

野口英世の生家

英世はここで少年時代を過ごしましたが、傷みがひどく隣に家を購入し、この家は小屋代わりに使っていました。

母シカが蚕を飼うために必要な桑の葉を獲るために桑の木を植えていました。今は幹がかなり空洞化しています。

明治29年19歳で上京する時、床柱に決意文を刻みました。

「志を得ざれば再びこの地を踏まず」

 

この志を貫き死を覚悟で黄熱病の研究に没頭した野口英世にあらためて偉大さを感じます。

細菌の研究だけでなく、楽器、絵画、書など多彩な趣味に驚きました。細菌の基礎知識等をパネルや映像、ゲームなどの遊び感覚で体験できるコーナーや野口英世そっくりのアンドロイドロボットとの対話コーナーがあり楽しめました。

あぶくま洞

全長600mの洞内に種類と数の多さで東洋一といわれる鍾乳石が続くあぶくま洞。公開されている部分だけでも凄いが、未公開部分は2500m以上ありそこには高さ90m以上の巨大ホールや日本一の高さ45mもあるフローストンもあるらしい。実物をみれたらどんなに感動するだろう!!洞内に入る前から切羽の高さにも圧倒された。

妖怪の塔  変化に富んだ表情が妖怪のように見えます。

洞の中に入り、妖怪の塔、白磁の滝を過ぎると探検コースに入りました。ここは、身を屈めてやっと通れるくらいの狭く小さな穴を潜って通る所も数か所あり、子供の頃に戻って探検気分をあじわいました。このコースには洗心の池、地底の精霊を見ることが出来ました。

探検コースを抜けると高さ29mのあぶくま洞公開部分で最大ホール(滝根御殿)があります。なにしろ大きな空間で圧巻。この御殿はあまりにも大きくて一枚の写真に納まりませんが、せせらぎの間、洞穴シールド、ボックスワーク、クリスタルカーテン、洞穴珊瑚、ビッグフローストンなどあります。

せせらぎの間

滝根の斜塔

シールド  珍しい鍾乳石です。上部が円盤状になっていて目には見えませんが、二枚の板の間に隙間がありそこから石灰分が沁み出して成長します。

クリスタルカーテン 帯状の鍾乳石で光を透かし、石の模様を見る事ができる。

ビッグフローストン 壁面を流れ落ちる地下水の石灰分が再び結晶し滝のような形になったもの

滝根御殿の中にある展望台に登りました。

竜宮殿

高さ13mのホールでフローストンにおおわれた斜面に石柱(きのこ岩)や石筍が発達しています。

きのこ岩

クリスマスツりー 巨大石筍で側面が小さなつらら石や石筍で飾られています。

リムストーン くぼみに地下水が溜まる事で田んぼの畦のような形に成長した珍しい鍾乳石

月の世界

国内の鍾乳洞で初めて舞台出演用調光システムが導入され、夜明けから夕暮れまでのシーンを表現しています。幻想的でとても綺麗でした。