第二回 松本マラソン (中止)   2018.9.30(日)

参加賞 Tシャツ、松本市内の施設無料招待券6枚(1800円分)

松本城                 9月29日(土)

松本城バックに。

松本市マスコットキャラクターアルプちゃんと一緒に。

(甲冑バージョン)

乾小天守の丸太柱

天守の北に位置するのに北は叛く、敗れる等の意があり、忌み嫌われたので乾と呼ばれました。天守と構造が異なり丸太柱が使用されています。

矢狭間・鉄砲狭間

厚い壁に25か所の矢狭間・鉄砲狭間があります。

弾つくり、火縄つくり

女性の仕事で出来具合で命中度が違うらしい。意外と繊細さが要求される仕事のようです。

文禄(1593~4)時代に建てられた現存する日本最古の五重天守を中心に連結複合式と呼ばれる独特の構成を持っています。大手口からはいります。

武者走

天守一階の周囲一間通りは内側の床より50㎝低い。これを入側(いりがわ)または武者走(むしゃばしり)といわれ、戦闘の時、武士が矢玉を持ってここを走りまわるのでその名がつきました。

石落

一階には石垣を登ってくる敵を防ぐ工夫がされています。

野面積石垣

天守を支えるには強度に欠けるようにもみえるのですが。

御座の間

書院造り風の部屋でいざという時の城主のいる所になりました。

花頭窓

窓の上方が尖った特殊なアーチ型になった窓で禅宗寺院に見られる形式で、中国におこり、我が国へは鎌倉時代に入り、後,城郭建築に広がりました。


松本市立博物館

押絵雛 ワラウマ 初市の宝船・七福神 他、縄文時代の道具、松本城下町の模型、松竹梅と桐紋蒔絵の女乗り物等の展示がありました。

松本民芸館

欅林につつまれた、なまこ壁の蔵造りの建物です。松本中町で工芸館を営んでいた丸山太郎が創館しました。壺、櫛、箪笥、染織物等の収蔵品が約6800点もあり約1000点が展示されています。

歴史の里

たてもの野外博物館として信州の近代をテーマに貴重な建物を移築復元しています。

旧松本裁判所庁舎

松本城二の丸御殿に建てられました。明治後期の区裁判所庁舎の典型的特徴をよく示し、全国で数多く建てられた和風裁判所建築のうち、最も完成度の高く、歴史的価値が高いとして国の重要文化財に指定されました。


捕物道具展示

呼子笛、十手、一伝博流口中鉤(自殺防止用で口中にひっかける)、刺股、突棒、袖がらみ等

法廷の様子

判事の法服と帽子をつけて。証言台に立つとスイッチがあり裁判の様子が音声で流れます。

 

裁判長、陪席裁判官の座席


旧松本少年刑務所独居舎房

1953年から1990年まで使用された独居房棟の一部です。創建当初の板張りの部屋と昭和50年代に改善された畳敷きの部屋があります。

こんな感じで部屋がならんでいます。

部屋の中はこんな感じ。


旧昭和興業製紙場

平成7年(1995年)まで操業していたカイコの繭から生糸を取り出す製糸工場です。

1・選繭(せんけん)

糸ひきに向かない糸をのぞきます。

3・繰糸(そうし)

繭から糸を引出し、その何本かを合わせて一本の生糸にします。

5・束装(そくそう)

揚げ返しと生糸をまとめ、決められた重さの「括」(かつ)にします。

2・煮繭(しゃけん)

糸のほぐれをよくします。

4・揚げ返し(あげかえし)

枠に巻き取った生糸を巻き直し、一定の重さ、長さ、幅にします。

6・検査

決められた糸の太さになっているか、糸の長さ、重さを計って確認します。

7・玉繭繰糸(たままゆそうし)

規格外の繭を使って太さにむらの多い味わいのある糸をひきます。


工女宿宝来屋

江戸時代後期、松本と飛騨高山を結ぶ野麦街道沿いの集落、旧奈川村川浦に旅人宿として建てられました。明治から大正にかけては飛騨地方から諏訪、・岡谷の製糸工場へ向かう工女たちが大勢宿泊しました。

奈川地区は林業が盛んで家の壁に多くの木が使われています。

写真では分かりにくいですが板葺の屋根に石を置いています。石がころがらないように勾配は緩くなっています。積雪の多い寒冷地では瓦が凍結して割れてしまうため、こうした屋根の家屋が多くあります。

石むろ

冬が長く厳しいので野菜、その他食料を保存したところです。

一番大きな部屋(いどこ)

囲炉裏が二つあり、手前の囲炉裏で調理し、奥の囲炉裏は暖房として利用し、濡れた衣服を乾かしていました。

みそべや、隠し部屋、上客用の畳部屋、石臼部屋、馬屋がありました。


木下尚江生家

江戸時代後期に建てられた下級武士の住宅です。社会運動家木下尚江は、1869年にこの家に生まれ新聞記者、弁護士、小説家として活動しながら普通選挙の実現など社会改革をめざして活躍しました。


松本マラソンコース ラン&ウォーク 9月30日

台風24号が近づいているとは言え、昨日の雨もやみ、風も無く、じっとしていたら肌寒さを感じる位の気温で走るにはまあまあの良い条件。大会のHPも確認しないで行ったら、中止。

一部マラソンコースも含むコースを観光しながらラン&ウォークを楽しむ事にしました。

1・ホテルで着かえてウォーク&ランに出発。

3・松本城の前で。

5・スタート地点まであと少し。スタート地点から走ってくる集団に沢山会いました。

7・ここらがスタート地点になるそうです。

9・マラソン中止の貼り紙がありました。

11・コースをほんの少し護国神社に向かって。

2・大名町通りをスタート地点に向かって。

通りのマラソンの幟が虚しく風になびいていました。

4・松本城の濠に鴨がスタート地点に並ぶように一列に並んでいました。

6・信州大学前

8・荷物を預けるトラックやテントがありました。

10・公園のシンボルモニュメントの前で。

12・護国神社 ここまではマラソンコース(ホテル~スタート地点は逆走しました)ですが、ここからコースを外れてアルプス公園へ向かいました。


アルプス公園               9月30日

りんご園でりんごを買って食べながら、アルプス森のかけ橋~花の丘~森の入り口広場(子供用の遊具があります)~山と自然博物館へ。

山と自然博物館

防災に関する展示。水辺や山野の生き物の展示。展望台。巨大なデーラボッチ(山と自然博物館のマスコット)などがあります。ここから城山腰古墳群~貞亨義民塚~正麟寺をへて旧司祭館へ。

旧司祭館

旧司祭館はM22年にフランス人神父により建てられた西洋館で、長野県では現存するなかで最も古い宣教師館。1階2階ともベランダ、暖炉が配されています。食堂には一通りの家具がありましたが、寝室や風呂、キッチンは設備、家具も無く、部屋だけだったので当時の雰囲気が感じにくかった事が残念でした。

旧開智学校校舎

開智学校の工事費は約1万1千円でうち7割を松本町民の寄附によるもので、町民の裕福さや学問に対する熱心な思いが感じられます。また、校舎内は廃仏毀釈で廃寺になった全久院や浄林寺の部材が使われていて近代学校の創設に廃寺が大きな役割を果たした事が分かります。昭和38年まで約90年間使われ国内で最も古い小学校校舎です。色ガラス、風見鶏のついた八角塔など端々に文明開化の息吹が感じられます。

桟唐戸

彫刻のついた桟唐戸は校舎内に八面あり波形、飛龍の木彫で二階廊下中央に浄林寺のものがそのまま使用されています。

小学校1~2年の頃の教室の様子を懐かしく思い出しました。

青い目のジェーン

戦時中に多くの青い目の人形は壊されましたが松本幼稚園では雛祭りに飾るなど大切に保管してきました。

美篶細工(みすず)

すず竹を原料として編んで作る細工。明治天皇の御座所として使われた部屋一面を一枚物で敷き詰められていました。

木目塗り

ペンキで描かれた木目で木製の扉を一度ペンキで塗り、その上に木目を描き表しました。

明治41 試作机腰掛第一号

講堂の窓

丸い通し柱

1階から2階に通じる回り階段横の丸い通し柱は全久院ので使われていたケヤキの古材を転用しています。

天井は五層の和紙を貼り重ねて作られています。1~4層がユネスコ無形文化遺産に認定された「細川紙」。5層目は「鳥の子紙」という厚い和紙を使用しています。

戦後の教科書

戦意高揚に関する教材は黒く塗りつぶし削除するよう指示されました。

松本御巡幸

明治天皇が休憩するための便殿としてつかわれた部屋

桟唐戸と木目塗りの重厚な扉

八角塔屋

西洋建築のシンボル

で大きな鐘がぶら下がっていて、授業の始まりなどを知らせていました。

講堂

一番広い部屋で校旗や机などが展示されていました。


北馬場柳の井戸と北門大井戸

松本城旧総堀埋立地の中に自噴していた湧泉を地元北馬場の人達が整備して井戸にしました。

傍らに柳の大木がある事から柳の井戸と呼ばれています。

明治維新を迎え、総堀が片端の堀を残して埋め立てられその跡に新たに作られた突井戸で、それ以後、湧水が豊かで松本城の北門にあたるので北門の大井戸と呼ばれています。


畷通り商店街

その昔、「縄手」は松本城のお堀と女鳥羽川にはさまれた”縄のように細く長い土手”でした。明治12年に四柱神社が建立され、縄手は参道として発達してきました。其の頃は河鹿蛙が美しい鳴き声をかなでていましたが、いつの頃からか川が汚れ、通りも活気を失いました。昭和47年「かえる大明神」を祀り、「かえるの街」として活気のある通りにカエようというとりくみが始まりました。意外と新しい名所なんだ!!若かえりの水に少しふれてきました。鯛焼きアイスっていったいどんなんかな?と思って買ってみましたが鯛焼きの熱い皮を期待してましたが、鯛の形の餡入りアイス最中でした。

中町通り                     10月1日(月)

火災から町を守るために造られた白と黒の「なまこ壁の土蔵」が続くしっとりした旧善光寺街道沿いの通り。


湧水・井戸めぐり

松本は女鳥羽川と薄川の複合扇状地によって豊富な地下水が湧出する湧水地帯で、市街地中心部には多くの自噴井戸や湧水が点在しています。

辻井戸

西井澤屋 地下250mからくみ上げた地下水です。

宝の泉

源地宝泉院の境内に「宝泉」と言われるほどの良質な湧水が出ていた事に由来しています。

槻井泉神社の湧水

槻井神社と大きな欅の木がありました。

女鳥羽の湧水

伊織霊水

日の出の井戸

大名小路井戸

中町 蔵の井戸

草庵の井戸

源智の井戸

この井戸は市内の名水の一つで城下町が形成される以前から飲用水として使用されていました。所有者は、 小笠原氏の家臣 河辺与左衛門源智でその名をとって「源智の井戸」と呼ばれるようになったそうです。土地の人が絶え間なく水を汲みにきていました。

源地の水源地井戸

槻井神社前で

鯛萬の井戸

日の出の泉 薬祖水

東門の井戸

大名町大手門井戸

檜物屋の井戸


松本市美術館

月曜日で休館だったが、館外のモニュメント《幻の華》は草間彌生の世界最大の作品で素晴らしかった。

あがたの森公園

旧制高等学校記念館

北杜夫著「どくとるマンボウ青春記」の舞台になり大正時代に建てられた洋風校舎。歴史を感じる大きなヒマラヤ杉に包まれた校舎は大正期の典型的な木造学校建築の特徴を示しながら当初のまま残っています。

はしご横丁

湧水・井戸めぐりをしている途中にたまたま気軽に立ち寄れそうな横丁がありました。10時から営業とありましたが2~3人のお客さんがいました。

今回の観光は車を預けてラン&ウォークのみの観光だったので、これまでの旅行より土地の人にも触れる事も多く、一味違った旅になりました。また、地形的に湧水・井戸の水が豊富で水汲みが生活の一部になっている人が結構いる事が分かりました。また、数学甲子園の本選出場校もあり、教育にも熱心な町という印象でした。マラソン中止は残念だったけど街中をゆっくり散策できたのは有意義でした。